津田永忠碑(つだえいちゅうのひ」 
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日下部鳴鶴

特定の人物に師事はなく。しかし20代の時には、貫名菘翁の書に傾倒しており、40代の時には、来日していた楊守敬のもとで碑学、六朝書、篆隷の研究を行っている。
その後は中国書法の研究をすすめ六朝書道を基礎に独自の書風を確立し多くの弟子を育て。有名な揮毫の石碑に
津田永忠碑大久保公神道碑がある

   この石碑は岡山県の後楽園にあります      
余、旧封備前に過(よぎ)り、風土文物を覧(み)る毎(ごと)に、
今だ嘗
(か)って熊沢伯継(はくけい)・津田永忠の我が家に功績在るを
想見
せずんばあらざるなり。伯継の余が祖(そ)を輔佐(ほさ)せること、
天下人人
(じんじん)の知るところなれども、永忠に到りては、
(すなわち)ち之を知るもの或(あ)ること鮮(すくな)し。
旧臣
(きゅうしん)木畑道夫(きはたみちお)等、其の此(かく)
如きを恨
(うら)み、衆に諗(つ)げて曰(いわ)く、
「我が芳烈公
(ほうれつこう)、此の土(ど)に移封(いほう)されしとき、天下

始めて干戈
(かんか)を免(まぬか)
田野
(でんや)(いま)だ辟(ひら)けず
、礼文
(れいぶん)未だ備(そな)はらず。

以下省略
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日下部鳴鶴 書

 


臨書は、日下部鳴鶴の文字の構図、余白、線質などを
しっかり観察して
鳴鶴の筆法が自分のものになる様に
学んでください。


中本白洲 臨書

                                                                     


 篆額(てんがく)  正三位勲三等      池田 茂政(もちまさ)
                                                                      
 
 撰文(せんぶん) 従三位勲三等侯爵   池田 章政(あきまさ)
                書   正五位    日下部東作  (鳴鶴)(めいかく)                           
石匠   備中         藤田市太郎       
 碑石   さぬき         庵治(あじ)
台石   備中          六口(むくち)島産  
この石碑は後楽園の鶴舎と茶店の中間地点あたりにあり、この碑文を読むと永忠の業績が明治時代に一度見直されていたことが良く分かる